スプラッシュ 2016/12/21__00:00

＊特に何も起きないし別に付き合ってもない二人（のつもりだった）

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　風と波の凪いだ、気温の高い月明かりの夜だった。船端で夜をやり過ごしていた俺の眼前、静寂をひゅんと切り裂いた影は、裸足で軽やかに欄干に飛び乗った。そんな酔狂はコックでしかない。脱いだジャケットをばさりと落として、背を伸ばし肩を回している。何をする気かと眺めていると、不意にその影が消えた。残されたのは微かなスプラッシュの名残。「泳ぎは得意だ」と言っていたから、自殺するなら別の方法を選ぶだろう。危険な海域でもない。だから心配はしなかった。実際、そう長くない潜水でそう遠くない場所に、コックは顔を出した。ぶんぶんと頭を振り、飛沫を飛ばしている。長い前髪が踊って、月明かりを弾いた。一瞬見えた両目も直ぐに一方は隠れ、のんびりとした平泳ぎで、時々腹を上にしてぷかりと浮かんではくるりと潜水し、水遊びを楽しんでいる。海の生き物のように、生き生きとして見えた。楽に呼吸をしているように、見えた。
　錨のロープを器用に伝い甲板に戻ったコックは、ぷつぷつとボタンを外すと肌に張り付いたシャツを荒々しく剥いだ。じっと見ているこちらに気付かない事もなかろうに、特に何を言うでもない。こちらも同じく何も言わない。コックは甲板に置き去りにしていたジャケットから煙草を出し咥え火をつけた。一つ大きく息を吸い、同じだけ煙と共に吐き出して、シャツを絞る。海水がばたばたと甲板を濡らした。頭から額へ落ち頬を伝って口元に滑る海水が煙草のフィルターに浸みていく。足元には水溜り、捻れたシャツを振り解いて広げ、ばたばたと風を起こして平らかに甲板の乾いた所に置くコックは、後から後から落ちてくる海水に辟易した表情で、海でと同じように頭を振ってから、髪に手櫛を通し水気を絞った。また目が露わになるかと思ったが、現れたのは瞼だった。目も口も閉じているコックは、静かだ。海のように。
　煙草の甘苦い匂いが夜の潮に紛れる。ボトムを脱いで同じように絞り、更には下着にまで手をかけたのを見て、堪らず声をかけた。
「はじめっから裸で泳げよ、濡れるの分かってんだろ」
「裸で泳ぐのは、魚とか海獣とかのすることだ。人間様は、着衣で泳ぐんだよ」
「船の上で全裸はいいのか」
「構わねえだろ、誰も見ちゃいねェ」
「俺が見てんだろ」
「慣れてるだろ？」
　こちらを見もせずに、コックは全裸で月光を浴びている。しなやかな背に白い尻、すらりと伸びた脚。言うほど見慣れてはいない。
　服を脱ぎ欄干から海に飛び込んだ。大仰なスプラッシュの後ずぶずぶと沈む。まるで何かに似ている。何も邪魔するものなく海に揉まれるのは、心許なさと開放感のあいのこだ。まるで何かに。何か。じっとコックを見ていたのも、コックを海のようだと思ったのも、全裸のコックを直視しかねて海に飛び込んだのも、全部それが源流だ。沈むだけ沈んでそう結論づけた。分かったのならいつまでも沈んでいる由はない。バタ足で海上へ。ぷはあと息を吐けば、欄干にもたれた全裸のコックと目があった。静かに、見ている。煙草も咥えずに、ただじっと、俺を。
　なあ、お前も、そうか？
　ざばざばと泳ぎ、甲板に戻る。こちらには絞る服もなく、頭を振るって水気を飛ばせば全裸の男が二人向き合う格好だ。
「マリモちゃんはさすが水生生物、全裸で水泳派か」
「絞る手間が無くていいだろ、それに」
　間合いを詰めて手を伸ばす。まだ湿る髪に触れ、じっと目を見る。海のような目を。
　なあ、お前も、そうだろ？
「脱ぐ手間も省ける」
　コックは呆気にとられた顔をして、一瞬の後に笑った。
「違いねェ」
　和らいだ目は、やはり海のようだった。

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20161203,1219,1220
　書いてたら、勝手に付き合うことになってた（仕方ない）